川端康成「雪国」の冒頭「国境の長い トンネル を抜けると雪国であった」は教科書にも載っているので殆どの方がご存じでしょう。
さて、冒頭の国境のヨミはどちらでしょう。私は無意識に「コッキョウ」だと思っていました。
「くにざかい」と読むべきだという話があります。http://www.asahi-net.or.jp/~qm4h-iim/k020322.htm
「コッキョウ」だと国際的な国境を意味するので不適切だとの論です。
件の小説の舞台は、上野国・越後国の国境なので「くにざかい」であるべきだそうです。
川端康成氏存命の時から、川端研究者が存在していて、読み方問題が討論されていたようです。
当時の研究者か、作者本人に問い合わせた話を、高島俊男氏の本で読んだ記憶があります。
それによると、「読み方までは考えていなかった。コッキョーでいいのでないの」と答えられたそうです。
ということは、作者本人の意図を無視して、ギャラリーが「くにざかい」であるべきだと主張していることになりますね。
国語の入試で「作者はなにが言いたかったのか」の設問に当の作者が間違ったという話もあります。
物事の決まり事や、ルールが当事者の意図とは違う視点て決められしまう例ですね。
「漢字での表記は規定するが、読み方は規定しない」という文化があるのかもしれませんね。
戸籍でも読み方は書かない、住民票で補足項目として読み方を記載しているたけだ。とも聞きます。
会話は、口語なので、読み方重視だと思うのです。でも、欧米人が単語のスペルを確認して話をするように、漢字を確認しながら会話をすることもありますね。
昔の武士の名前は分かっているが、読み方が不明なのもあるようで、なんか不思議な感じです。
普遍的な読み方が存在しないので、alphabetのように発音記号の採用は不可能なんですね。
ふりがなを付けるべきだと思いますか、一方でフリガナを付けるのは「子供じみて見える」との意見もあります。
フリガナを付けないのは格好が良く見えますが、それと「大人じみている」こととは直結しないでしょう。
フリガナをつけて、誤読を抑制するほうが良いと思うのです。そうしないと、誤読バグを生み、後になってそのバグは大きくなって手を噛まれることになりかねません。
作者にとって読みは明白なんでしょうが、明記されていないと、後日作者と無縁のところで解釈論争が発生し、不毛論争になります。
開発作業も同じですね。
作成当時は、明白な処理分岐であっても、後日追跡すると、「なんで、こんな分岐があるの」というのがよくあります。これが、「動くから弄るな」となり、いつまで足を引っ張ることにもなります。
明白なことほど、明記する必要がありますね。
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