前回のエントリーで仕様書の記述で意図が伝わるか否かを考えました。
私も、「100%は無理」と考えます。
業務仕様書を用語(コード)で記述したら、良いかなと思ったのですが、コード要素のレビュー/検証が入るし、用語の範囲の保証が難しい指摘され、納得できました。
仕様書は自然語のほうが良いようです。
プログラム開発の場合、意図がはっきりしている仕様でも、文書にすると抜けが生じたりします。
ましてや料理のレシピや大工道具の使い方などの熟練技の「感」や「肝」の部分は難しいと思うのです。
文化の伝統は、人を介して継続するしかないのかなとも思います。
一旦、人の連鎖が途切れると、再現不可能になるようです。古代に「醍醐」というチーズ状の食べ物があったそうですが、復元できていないようです。
古典落語も、活字から復元しても芸は再現しないできないようです。
夢を録画することを研究しているようで、夢も何らかの電子情報として認識できるらしいです。
(遠い?)将来には熟練技の部分や料理の微妙な調理法の数値化が可能になるかも知れません。
自転車にのるロボットが実現できているので、近いかも。
でも、それが文化と言えるかという感情論や情緒論もでそうですが。
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