幼少の時に正誤を逆に覚えてしまったり、類似の用語を取り違えて覚えてしまうと、それが擦り込まれてしまい、いまだに戸惑います。
ハイチで大地震がありました。適切な救援を願うのみです。
第一報を聞いたとき、「タヒチ」だと思い込んでしまいました。カリブ海という地名を伴っているので、「なんか違うな」と思ったものの、「タヒチ」と間違ってました。
ラジオ情報では、以前、旅行者が「タヒチ」間違えて、「ハイチ」行きの切符を買って、現地に着いてから、慌てふためいた人がいたとか。
どうも、思い込んだ類似語は直らないてす。
聖書に「天まで届く塔を作ろうとして、神の逆鱗に触れ、多言語が生まれた」とありますが、それを「バベルの塔」ではなく「ハノイの塔」だと思い込んでいました。
積み重なった奇数個の棒とだるま式の駒の入れ替えゲームを「ハノイの塔」といいますが、それをも、聖書に起因したゲームたと信じてました。...w
そして、ベトナムにハノイがあると知った時は、そこが聖書に出てくる塔を作った場所だと、勝ってに思い込みました。
...他人に喋って恥を掻く前に、気付いたのですが、未だに、ハノイときくと、「バベルの塔」が頭に浮かび「いやいや、違うぞ、ハノイのことだぞ」と考え直すので、ワンテンポずれてしまいます。
数値を扱うときは「四捨五入が標準」だと思ってしまうのも類似の傾向かも知れません。小学校の初期に習うので尚更なのかもしれません。
処理的には偶数丸めやJIS丸めが誤差が小さくなるので、こちらを採用しているケースが多いです。
言語仕様に四捨五入が入ったのは、極最近のことです。
小さいときに、ピント外れなことでも、「これが標準だ」と教えられてしまうと、それが「常識」となって後々判断の邪魔になることもあります。
「その人固有の常識」なんて怪しげな物だという認識に立つのが大事なんですが...立てない人が何故か多い....
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