2010/06/18

辛抱も仕事のうち(?)

数回前のエントリー「ラジオ体操って、そう見えるの? 」で頂いたコメントで、
>会社にわけの分からない拘束をされるのは誰でも嫌じゃないですか?
>(わけが分からない内容であっても、まぁ反社会的というわけでもなく正等な労働対価が支払われるなら、(波風立てずに生きていくには)拒否はしないかもしれませんが、私なら気持ちとしては嫌ですね。非生産的な無駄は、結果として自分たちの給料を押し下げますし)
がありました。同意するのですが、考えました。
我々は、仕事をして報酬を頂いています。自分の思考、思想に合致した仕事に就いている人は少数だと思うのです。
職業プログラマは、比較的、自分の思いに叶った職種に就いている人だと思います。でも、不平不満は皆無ではありませんよね。
人間関係のギクシャクはどの社会にもあるので、省きます。
ラジオ体操や社歌、説法じみた教育的訓話の拝聴などを強要されることに、不条理感を持つ人がいるのも事実です。
でも、それが会社文化なら従うのが労働者だと思います。嫌なら退社する自由もあります。拘束も労働の一部だと思うのです。
で、上記の目に見える「拘束」ならば、話は単純なのですが、我々開発者には、もっと不条理な拘束があります。
「開発標準」「コーディング規約」等とよばれる規約です。
理にかなった、開発効率に貢献している規約ならば意味がありますが、どう見ても不条理な規約があります。
・コボル時代に策定されたような内容「変数の事前定義と広域化」「テータテーブルは横持ち」「一画面1exe」
・開発者水準を下に合わす内容「継承は用いない。」「Joinは用いない」「ジェネリック禁止」
・化石みたいな社内フレームワークの強制...net.Frmame Work 1.x当時に策定された F/W が生きている。
等々、開発者にストレスが貯まる現場は、多々あります。
それらに比べたら、社歌やラジオ体操なんて、数分間の辛抱なので、些細なことだと思えます。

最近は、それに加えて、セキュリティ問題で、USBやインターネット接続もママナラナイ現場もあり、不条理環境は拡大しているようにも思えます。
それを不条理と感じている私が「セキュリティ意識が欠落している」とも言えるので、上記の主張は、天唾かも知れませんが。

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