2010/04/12

両国橋

東京に両国駅があります。そばには、隅田川が流れているので、そこが、国境(武蔵と下総)だと思っていました。


武蔵と下総は、東京と千葉に相当しますが、現在の県境は江戸川なので、オカシイ感じがします。

Wikipediaによると、両国橋ができたとき(1659年or1661年)、隅田川が国境であったが、その後(1686年)、国境が変更されたそうです。

この、国境変更は後日談もあるようです。

http://www.mars.dti.ne.jp/~opaku/hakken/06/ore24.html

現在でも、県境や市境の変更となると、騒ぎになりますが、江戸時代と言えば、封建政治なので、領土感覚はシビアだったように、思ってしまいますが、簡単に変更できたのでしょうか。

国境線や国境警備隊がいる訳ではないので、出入りの制約は少なかったのでしょうね。

(*)アラブ諸国やアフリカの国境も地図上では線が引かれているが、現地では境目が不明確で、出入自由だとも聞きます。国境の位置に拘らない人々も居るということでしょうか。

 上記の記事で知ったのですが、荒川って変遷があって、戦国時代に綾瀬川ができ、荒川放水路という人工河川もできたようです。

大阪の新淀川も人工河川なんですが、大がかりな人海戦術の土木工事だったんでしょうね。素人の感覚ですが、城作りよりも大きい公共事業だったような。

考えたら、川がを国境になっているのは多いですが、川が氾濫して川筋が変わることもあるわけで、その場合、国境は川に従うのでしょうが。該当国同士の争いの有無は?

両国橋は、完成して、25年ほどで、両国橋で無くなったんですね。実体は無くなっても名は残ったという事でしょう。

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